『学ぶことの無い人間は豚のように老いていく。彼らの肉は増えるが、知恵は増えない』
この言葉を聞いてドキッとした人もいるかもしれません。僕は少しドキッとしました。w
この言葉は、お釈迦様が残した名言の一つであります。
人間幼い頃は、経験が少ないがために、いろいろな事をワクワクしながら学べるものですが、歳を重ねるにつれていろいろな事が分かるようになり、勉強というモノをしなくなりますね。
そんな大人たちに向けて、釈尊が残した言葉がこの名言です。
こう言われてみると、確かにそうだなぁ。と妙に納得させられます。
どうしていきなりこんなことを言うのかというと、数年前からブッダの残した言葉に興味があり、いろいろ調べていました。
調べていくうちに、ブログにも残していきたいなという事と、より多くの人に知ってもらいたいなと思い自分なりの勉強法を紹介していきたいなと考えています(*´▽`*)
なんか怪しそう・・・
と思われたでしょうか((´∀`))
僕は宗教団体に加入していませんので大丈夫。もちろん宗教もやってませんし分かりません。
そもそも、宗教団体というのは、人間が集まっているだけで何も学んでいないと言えるのかなと。
『組織に属しているから自分は素晴らしいのだ』という感じがして好きになれません。(他力本願)
もっと言えば、本当に好きなら組織に属せずとも勉強すると思っています。(自力本願)
そういう考えなので宗教団体とは一切無縁であります。
約2500年前に一人の人間(ゴータマ・シッダールタ)が、自分一人の考え方で人々を救って、さらにその考え方が今でも通用するという事を、ただ知ってほしいなと考えているだけです。
これからお伝えすることは、今のお経の基本になっている釈尊のお話です。
ブッダの残した言葉を、のちのお弟子さんたちが古代インド語で書き残し、さらにその経典を日本語訳にしたものを僕は読んでいます。
気になる方は一度見て見てくださいね。
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・ブッダの感興の言葉(ウダーナヴァルガ)
第一章 無常
円満な完成!
この世で、心が暗くふさぎ込んだり眠くなるのを取り除いて、心を喜ばせ、勝利者(=仏)の説かれたこの感興のことばをわれは説くであろう。さあ聞け。
すべてを知りきわめた人・救い主・慈悲深い人・最後の身体をたもつ人である仙人・尊師は次のように説かれた。
諸(もろもろ)のつくられた事物は実に無常である。
生じ滅びる性質のものである。
それらは生じては滅びるからである。
それらの静まるのが、安楽である。
何の喜びがあろうか。何の歓びがあろうか?
世間はこのように燃え立っているのに。汝らは暗黒に陥っていて、燈明(とうみょう)を求めようとしない。
あちこちの方角に投げ捨てられまき散らされたこの鳩色のような白い骨を見ては、この世になんの快があろうか?
夜の最初のあいだ母胎に入って住みつく人は、安らかにとどまること無く、迷いのうちにかえって行く。去って、もはやかえって来ない。朝には多くの人々を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝には或る人々のすがたが見られない。
「わたしは若い」
と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が自分の生命をあてにしていてよいだろうか?
若い人々でも死んで行くのだ。
男でも女でも、次から次へと。
或る者どもは母胎の中で滅びてしまう。
或る者どもは産婦の家で死んでしまう。
また或る者どもはいまわっているうちに。
或る者どもは駈けっているうちに死んでしまう。
老いた人々も、若い人々も、その中間の人々も、順次に去って行く。
熟した果実が枝から落ちて行くように。
熟した果実がいつも落ちるおそれがあるように、生れた人はいつでも死ぬおそれがある。 陶工のつくった土器のように、人の命もすべて終には壊れてしまう。 糸を繰ってひろげて、いかなる織物を織りなそうとも、織る材料、糸巻きが残りかになってしまうように、人の命も同様である。
死刑囚が一歩一歩と歩んで行って、刑場におもむくように、人の命も同様である。 山から発する川の水が流れ去って還らないように、人間の寿命も過ぎ去って、かえらない。 功労でも些細なことでも、苦しみとむすびついている。水面をで打っても、直ぐに迹が消えてしまう。 牛飼いが棒をもって牛どもを駆り立てて牧場に到着させるように、老いと死とは諸の病いをもって人々の寿命を終らせる。 昼夜は過ぎ行き、生命はそこなわれ、人間の寿命は尽きる。小川の水のように。
眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者にとっては、生死の道のりは長い。 「わたしには子がいる。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかし、すでに自分が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。 男も女も幾百万人と数多くいるが、財産を貯えたあげくには、死の力に屈服する。 いくら財産を貯えても、最後には尽きてなくなってしまう。高い地位身分も終には落ちてしまう。結びついたものは終には離れてしまう。生命は終には死に至る。
生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命はついには死に至る。かれらは、つくった業のいかにしたがっておもむきそれぞれ善と悪との報いを受けるであろう。 悪い行ないをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ、天に生れるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう。
大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の奥深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い。 この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれる者どもでも、一切の生き者は身体を捨ててくであろう。智ある人は、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行ないをなすべきである。
この世で老いぼれた人を見て、また病んだ人を見て、また意識作用の消え失せた死人を見て、思慮ある人は家の絆を捨て去った。世間の人々にとって欲楽は実に断ち難いものであるが。 いとも麗わしき国王の車は朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。しかし善い立派な人々の徳は老いることがない。善い立派な人々は互いにことわりを説いてきかせる。
なんじ、嫌しき〈老い〉よ! いまいましい奴だな。おお前はひとを醜くするのだ! 麗わしい姿も老いによって粉砕されてしまう。 たとい百歳を生きたとしても、終には死に帰着する。老いか、病いか、または死が、この人につきそって殺してしまう。 ひとびとは昼も夜もそこなわれ、つねに過ぎ去って帰らない。魚が火あぶりにされているように、生死の苦しみを受けている。歩んでいても、とどまっていても、ひとの命は昼夜に過ぎ去り、とどまりはしない。河の水流のようなものである。 ひとびとの命は昼夜に過ぎ去り、ますます減って行く。水の少ない所にいる魚のように。かれらにとって何の楽しみがあろうか。 この容色は衰えはてて、病いの巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまうであろう。生命はついに死に帰着する。
ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう意識を失い、空ろで、わらのように、投げ棄てられて。 この身体に何の用があろうか?いつも臭穢を漏らし、たえず病いにおそわれ、老いと死におびえているのに。 病患になやみ脆いこの臭穢の身体をもって、最上の安らぎ、無上の安穏に落ちつけよ。
[私は雨季にはここに住もう。冬と夏にはここに住もう]と、愚かな者はこのようにクヨクヨとおもんばかって、死が迫って来るのに気が付かない。子供や家畜の事に気を奪われて、心が執着している人を、死は捉えて攫っていく。 眠っている村を大洪水が押し流すように。
子も救うことが出来ない。父も親戚も救うことが出来ない。死に襲われたものにとっては、彼らも救済者とはならない。 [私はこれを成し遂げた。これをしたならば、これをしなければならないであろう。]というふうにあくせくしている人々を、老いと死が粉砕する。
それ故に、修行僧らは常に瞑想を楽しみ、心を安定統一して、勤め励み、生と老いとの究極を見極め、悪魔とその軍勢に打ち克って、生死の彼岸に達する者となれ。
以上第一章 無常
・この世はまさに諸行無常
今回は、ブッダの感興の言葉(ウダーナヴァルガ・法句経)の第一章 無常をお伝えしましたが、この世の中は常に移り変わっていくもの。諸行無常の理ですね。
人間には必ず老いと死がやってくる。
この世のものは破壊される運命にある。
にもかかわらずに、人はモノに執着したり他人に執着したりしてしまう。
結局何も残らないのに、そのモノに執着しても意味がないという事を言っているのかなと感じています。
去年までは、2019年は何も気にせずに外出できたものが、2020年はコロナで気軽に外出できなくなった。
これも諸行無常ですね。世の中は常に変化していくもの。
こういったことを受け入れておけば、どんな状況になってもツラい気持ちをすぐに切り替えることが出来ると言えますね。
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・本当に大切なモノは自分の心
他人に依存してもいつかは居なくなる。
モノに依存しても、いずれ破壊されていく。
いくら財産を貯めこんでいても、自分がいなくなれば意味がない。
では、本当に大切なモノっていうのは無いのかな?と考えたのですが、一つだけありました。
それが自分の心というモノなのかなと。
よく考えてみると、自分の心だけは常に一緒に行動していることになります。
物心着いた時から死ぬ寸前まで。
そう考えていくと、どうやら心を楽しませるという事が大切なんだな。
という風に考えることが出来ます。
自分がいま一生懸命やっている目の前の事に集中していく。
ただこれだけでよいのかと。
奥の深いブッダの言葉。
もっと研究してみようと思います(^O^)