相手を喜ばすには共感力が大切

 

 

人は何か目標があって当然の生き物ですが、自分の目標を語ると必ずと言っていいほど

 

『そんなことできない』

『皆に嫌われるんじゃないか』

『意識高い系ですか?』

 

このように否定ばかりしている人が多い世の中ですが、そんな人ほどコミュニケーション能力が低いと言えますね。

 

なぜなら

人は話を聞いてもらい理解してもらう事で喜びを感じ相手も自分も気持ちよく行動できるからです。

 

話をして、相手が否定的になると誰でも良い気持ちになれるはずがありませんよね?

僕の経験上の話ですが、他人に否定的でいると自分も面白くなくなり、大切なワクワクする気持ちを忘れていく気がします。

 

周りの人も自分も気持ちよく行動できる。

そんな雰囲気ってとても良い環境だと思いませんか。

 

そんな環境を作りたいなら、『共感力』を知っておくことで解決できるかもしれません。

 

 

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・そもそも良い人間関係ってなんだろうか

 

 

相手とうまくいっている状態というのは、心のキャッチボールが出来ていると言えます。

 

楽しいキャッチボールを続けるには、相手の考えを尊重すること、そして信頼し合うことが必要ですね。

お互いのチカラが違うのなら相手に合わせて手加減をするということを忘れてはいけません。

 

 

 

チカラが上だからといって相手を見下しマウントばっかり取ってしまうと、いずれ喧嘩になりますよね。

それが国と国の関係になると『戦争』にまで発展してしまう人間世界の歴史があります。

 

本当に恐ろしいことです。

 

 

 

他人に認めてもらいたいなら、自分自身も他人を認める必要があります。

という事は、共感しあえるかどうかが、心のキャッチボールには必要という事です。

 

ここで大切な事なことは、自分の事が好きかどうかです。

自分の良いところ悪いところを十分に知って、そんな自分を認めてあげることが出来るのなら、他人を否定することなく認めることが出来るという事です。

こちらの記事も参考にしてみてくださいね。

 

30代 夢を殺す人(ドリームキラー)の見分け方と夢を応援する人(ドリームサポーター)の見分け方

 

 

否定的な人は、コミュニケーション能力が低いという事がわかってきたのではないでしょうか。

 

 

・相手の視点に立って物事を考えてみる

 

 

共感するチカラとは、

『相手の気持ちを察し、どういう言動・行動をとればいいのか』

こういったことを考えて相手に寄り添う事と言えますね。

 

相手の視点に立ってみて考えてみるわけです。

 

基本的に人は、

『相手から一方的に選択されると不快になる』

『相手に時間の制約をされると耐えられない』

という気持ちがありますよね。

僕はあります。

あなたにもあるのではないでしょうか。

 

 

たとえば、行列のできるお店にはワクワクしながら並ぶのに、ファストフード店で待たされると少しの時間でも我慢できずにイライラすることがあります。

 

 

自分の時間・考え方を他人にコントロールされると、人は不信感や不快感を持ちます。

そこから疑念が生まれ、争いにまで発展してしまうのですね。

 

同じ立場で共感し合えることが、良い人間関係の理想です。

 

 

だからこそ相手の立場に立ち、一方的な命令ではなく相手の気持ちを考えることで、コミュニケーションの結果は大きく変わるのではないでしょうか。

 

 

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・とはいっても理解し合えない人もいる

 

 

当たり前のことですが、相手を理解しようとして歩み寄っても、理解できない人がいるのも事実です。

 

なぜなら、人は万人受けする生き物ではありませんね。

必ず合わない人もいるものです。

 

もっと知りたい方はこちらをご覧ください

パレートの法則と来週の相場 2019年4月 第二週目

 

 

会社という組織・あるいは集団に属していて、本来の自分ではなくなるイヤな共感を感じるなら、即その場から逃げればよいと僕は考えています。

 

 

自分のことは自分で守らないといけません。

『ここにいては本当の自分が消えてなくなる』

そんな危険を感じたら逃げた方がいいと言えます。

 

 

学校が嫌なら行かなくても良いと思いますし、会社が嫌ならやめても良いと言えます。

 

 

今の時代は、働く事も自分で構築できるし変わろうと思えば誰でも変われる時代です。

 

 

そもそもの話、会社で働いて一か月分の給料を貰い続けて、それを70歳くらいまで続けないとイケないという考え方って誰が決めたのでしょうか。

 

その問いに答えることが出来る人がいるなら、僕は生涯ついていきたいなと思います。

お金もいくらでも払います。

 

しかし、実際にはそんなこと言える人間なんていませんよね?

いないにもかかわらず盲目的に『昔からの遺言』を妄信する人間が多すぎるのですよ。

何かがおかしいですよね。