人間を崩壊させる社会のコンプライアンスという地獄

 

 

世間体のルール

社会のルール

法律のルール

会社のルール

 

ほとんどの人はそのルールの枠組みの中で生きていますね。

しかし、ルールは変わるものなので昔のルールというモノを考えると

『あれはいったい何だったのか・・・』

となることが多いと言えます。

 

結論から言うと、ルールに縛られても意味は無いと言いたいのですが、それにはいくつかの理由があります。

 

 

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・コンプライアンスという流行りモノの正体

 

 

世間体のルール・会社のルールと聞くと、いかにも正しそうなので守ってしまいがちですね。

 

もちろん犯罪行為やそういった集団とは関わるべきではないし、薬物に手を染めるという事もダメ。

そういったことを無くそうとするルールがあって当たり前と思うし、そのルールは大歓迎。

それはあなたも知っているはずです。

 

 

ここ数年流行っている『コンプライアンス』という言葉がありますが、今現在コンプライアンスというモノを過度に重視するあまり、人間の自由という基本的なことが脅かされていると感じています。

 

そもそも、コンプライアンスとは、

『法令遵守』という意味で、企業がルールに従い、公正・公平に業務を遂行することを指します。

今の日本では、コンプライアンスは法令だけではなく、就業規則や企業論理、社会規範といった内容もすべて遵守すべきものとして捉えられています。

引用元https://bizhint.jp/keyword/134469

 

 

簡単に言えば『ルールを守りましょう』という事ですが、コンプライアンスというだけでなんか知的なイメージがついてきますね。

なので流行になっているのかもしれません。

 

 

そういった意味があるコンプライアンスですが、実はデメリットだらけなのです。

大きく言うと2つの問題がありそれは

 

・コンプライアンスを盾にして自分の考えを言わなくなる

・人の行動を制限することで人間の自由な発想を制限してしまう

 

という事です。

 

 

コンプライアンスを盾にして自分の考えを言わなくなる

 

 

コンプライアンスというモノがあるおかげで、自分の考えや本当の姿を隠しているという事は、もしかするとあなたにもあるかもしれません。

 

例えば、会社で新しい発想がありこれなら必ず良くなるというモノがあった場合、それを上司に提案したりします。

しかし上司は

『これは世間的に受け入れられない。コンプライアンスに問題あり』

と考えるそぶりすらなく却下してしまう。

 

新しい発想・考え方は一切無視。

 

ここで考えてもらいたいことは、上司は『自分を守るため』に新しい発想や考え方を否定していくという事です。

仮に新しい発想や考え方を採用して、経営陣にその必要性を説いたところで、それが否定されては自分の評価が下がるかもしれない。

『危ない橋を渡るのは危険だ』

と判断して、いつまでも変わらない事を良しとする。

 

 

ピーター・ドラッカーというユダヤの経営学者がいます。

一時期日本でも流行したのを覚えていると思いますが、彼は

失敗しない方法は何もしない事

と言っています。

 

日本では、新しい発想を持つ人間は嫌われると以前ブログでも書きました。

お偉いさんたちは”なぜ頭が固いのか”そんな人のために努力しても意味がない

 

日本では何もしない人間が出世していく。

その理由として、

私はコンプライアンスを遵守しています。

という事ほど都合が良いものはありませんよね。

 

 

ちなみに、ドラッカーや他の経営に詳しい人は

『失敗することを真っ先に考える人間を管理職や役員・社長にしてはいけない』

と断言しています。

 

その理由は

『実際にミスが起こったときにどう対処して良いかわからない』

という事です。

 

会社で上に行くと部下のミスに対応していかなくなるのは当たり前のことと言えます。

『失敗を真っ先に考える人間』

というのは絶対に役職に就いてはいけないと言えますね。

 

昔から言われていることがありますが

『破天荒な人ほどトップになる』

とよく言いますが、実はルールを無視できる人が成功していくわけです。

 

 

 

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・人の行動を制限することで人間の自由な発想を制限してしまう

 

 

徹底したコンプライアンスには、人の自由を抑制する働きがあります。

 

そもそもの話ですが、人間というのは、一人一人違いがあって当然の生き物です。

 

例えば、スーツをつけないといけない会社があると思いますが、そんな人が出張で沖縄に来たら周りのみんなはかりゆしウェア(アロハシャツのようなもの)をつけて仕事をしている。

 

『会社ではスーツ着用が当たり前だ。こんなのコンプライアンス違反だ』

と憤慨すると思います。

しかし、ちゃんと仕事をしているのなら、コンプライアンスがどうのこうのという問題では無いはず。

 

 

仕事って無駄にコンプライアンスを主張して、自分の存在意義を唱える事ではありませんよね。

そういった人は仕事が出来ないからコンプライアンスを盾にしているだけと言えます。

 

そんな無意味なことに時間を使うよりも

『お客さんはどうしてほしいのか?』

と考える方がはるかに建設的ではないでしょうか?

 

はっきり言ってしまうと、お客さんの事を考えずにコンプライアンスの事を真っ先に考える人や会社なんて将来性が無いと言えます。

 

しかし、コンプライアンスというのはその当たり前の考えを壊してしまうものです。

コンプライアンスさえちゃんとしていれば、出世が出来ると思い込んでいる人間が多すぎる。

そのため、コンプライアンスを真っ先に考えてしまう。

つまり、『自己保身に走る』という事です。

 

 

・吾輩はクソである

 

 

人って簡単に言えば、暴力をしなければどんな発想をしても良い生き物と思っています。

僕の思う暴力とは

 

・他人を傷つける

・自分を傷つける

・他人に暴言を吐く

・自分を否定してしまう

・他人の批判をする

・自分の批判をする

 

今の時代、多くの人は他人を批判することに快感を覚えていますね。

『こいつは世間的に批判されるから批判しよう』

と考えていると思います。

 

しかし、考え方は個人の自由です。

そもそもの話、批判して何か意味などあるのでしょうか。

考えてみると、意味が無いとわかると思います。

コンプライアンスというモノをよくよく考えてみると、全く意味の無いことに時間をかけていることに気が付くはずです。

 

このブログでは、コンプライアンスなんてクソくらえと考えることが出来る無料講座を開催しています。

興味があれば覗かれても良いのではないでしょうか。

 

社会に縛られずに自由に生きる